忘れていたはじまり。
アリシアが見つけた、母の、父の、大切な日々たち。
過去においてきた、思い出の欠片。
今は少しだけ先の未来。
[はじまりのおと]
秋のある日。今日は、パパとママは仕事が休みの日だった。
二人は同じ仕事同じチームなので、休みは一緒だ。けれどそれは仕事の日も一緒ということでもある。そんな時、私は家に一人取り残されることになる。なのでハウスキーパーさんが家事をしてくれる。ハウスキーパーさん――アニタさんという――にも子供が、それも三人もいるそうだが、皆もう大きくなり親の手を離れたそうで、仕事をしているそうだ。子どもである私にもとても親身になってくれる。アニタさんが第二の母といった感じなので、両親が仕事で家を空けていることは苦というほどのことでもなかったが、やはり寂しく感じるもので、たまの休みで両親が家にいるのは嬉しかった。
しかし、ゆっくりと朝を迎えるはずが、早朝、パジャマのままのママにたたき起こされた。ママは髪もパジャマもぼさぼさのよれよれで、まさに今起きましたという感じだった。
「ごめん、緊急出動命令が。行かないといけないのよ――ごめんね!」
ママは二度ごめんと言うと私の部屋からよたよたと走り去った。
私はそれを引き継いでいないが、ママは寝起きがすこぶる悪い。よく『寝起きが悪くて目覚ましを投げたりして壊す』とかいう話を聞くが、うちのママは目覚ましの音などには反応しない。ついでに放っておくといつまでも寝ている。けして自力で起きるなんてことはない。学生時代にあまりに起きないもので、クラスメイトに『死んでるんじゃないか……?』とまで言われたとパパに聞いたことがある。起こすには、ただただひたすら辛抱強く揺さぶるしかない。『おーい、起きてー』などあまっちょろい揺さぶり方では駄目だ。『おら――!起きろ――――!!』くらいの意気込みで、骨がばらばらになるんじゃないかと思うほど、がっくんがっくん揺さぶるのだ。私はママを起こすとかなりの疲労を感じる。重労働だ。私はママに起こされたわけだから、ママは今日もパパに起こされたのだろう。パパとママが同居を始めたのは学校を卒業してすぐだという。それからほぼ毎日がっくんがっくんしているわけだ。――――お疲れ様、と言ってあげるべきだろう。
そんなことを考えながらゆったりした色鮮やかな薄緑色のワンピースを着る。それから履いていたスリッパを脱いでブーツに履き替えた。よたよたに絡まっている髪をなんとかすることはまだできない。
ベッドを整えていると、ノックの音がしてパパが入ってきた。
『制服』を着ているパパは私の髪の毛をもたもたと、なんとかツインテールに形作りながら詳細を告げた。と言っても特に語ることもない。仕事が入ったというそれだけのことだ。
パパとママは魔法使いとして働いて生計を立てている。それも、魔法使いのハイエンドである国家認定の魔法使いなのだ。ハイエンドと呼ばれるだけあって、仕事も多くて大変らしい。
二人を送り出したあと、私は暇だった。
休みの予定だったので、アニタさんもこないのだ。
二人が超高速で胃に詰め込んだ、パパ製朝食をゆっくりと食べ終えると、さしあたってすることもない。私は今年で8歳になる、基本学校の二年次であるが、今日はマリキュールの休日でその学校も休みなので本当にすることがない。
私の家は首都にあり、子供はたくさんいたが、私は友達というものがなかった。だが別に困ることもなかった。
今は朝で、私は家にいて、一人だった。
我が家は広い。一部屋一部屋はそう広くはないが、とにかく部屋数が多い。リビングやそれぞれの個室に始まり、用途不明の『入っちゃダメよ!』の部屋までよりどりみどりで、空部屋も結構ある。ちなみに、ちょっとした爆発なんかにも耐えられるように作ったという。それを聞いたとき、『パパとママは爆発を起こすかもしれない前提なのか……』といわく言い難い気持ちになった。あとささやかながら庭もある。
その二階に上がり、ママの部屋へ入る。
ママの部屋には素敵な『落し物』でいっぱいなのだ。
パパはそこそこ几帳面で、使ったものは元の場所に戻す人だ。書籍の並びがバラバラだったりするのが玉に瑕だけれど、収まるべきところに収めてはいる。私はパパやママの研究室に入ってその中にある魔道書をいっぱい読みたいと思っているのだが、残念ながら研究室は[まだ]立入禁止よ、と言われているので、うずうずする気持ちを抑えて先の楽しみとしている。
反して、ママは使ったものは使った場所に置き去りだ。なので――魔道書も個室に結構落ちているのだ!それを私は主人の居ぬ間に読んでいる。
きぃっと軽く蝶番をきしませてママの部屋を一目見た瞬間――。
「な……――」
固まった。
何故なら、ママの部屋が塵一つなくぴかぴかだったからだ!
いつもいろいろな種類の本や大小様々な紙類、果てには服など――が散乱していて見えない床が見える!本はきちんと順番に本棚に並び、紙類もしっかりまとめて収められている。服もクロゼットに戻るか洗濯かごへ入って洗濯される時を待っているかだろう。
そんなことはどうでもいいのだ。
大事なことは『床がきれいに片付けられている』こと。『あるべきものがあるべき場所へ戻っている』ということ。つまり――魔道書が落ちていないということ!
ママも魔道書は当然ながら研究室(パパとは別にある)保管なので、そちらへおかえりなさったのだろう。
「えぇ――――――――」
本棚を覗いても、やはりそれらしきものはない。
小さな本棚の住人は主に古ぼけた絵本だった。ママは本といったら絵本が好きなのだ。それも昔から伝わるような童話の類で――。
ん?
隅っこに置かれていて今まで気がつかなかったが、一番端の端っこに、背表紙に何も書かれていない淡いエメラルドグリーンのA5より少しばかり大きいサイズの、ノートにしては分厚い書が、ひっそりと存在した。
言い訳をすると、それが私にはきらきらと輝いて見えたのだ。
気がつくと手が引き寄せられるように書をつかみ出していた。
【第224代目 魔法使い養成学校国家認定コース 生徒録】
長々と、しかしそれだけがぽつりと表紙に書かれている。ノートのようにも見えるが、何年か継続して使えるタイプのダイアリーにも見える。
開いて一ページ目を見ると、一番上の行に『クラス名簿』と書かれていて、その下には十五人分の名前が書かれていた。
一番上、出席番号1レイチェル。
次、出席番号2ハル。
そこから順に[ライラ・セルゲイ・アリス・モニカ・ハーディーガーディー・アレクサンドラ・サクラ・フレードリク・セントエルモ・リラ・フランク・ガジュマロ・イツキ]と書かれていた。
ぱらぱらめくってみる。
『今日、風呂場でフランクが転んだぞ、何回目だ』
『ソファで寝るのは禁止にしますよ、決定です』
『体育館の裏に女の子がいるんだって!(ライラ談)』
『――特にないです』
『ハナガスミの辺りで例のジシンとやらが起きたらしいよ。詳しくはまだ』
『そういえば僕、首都に義兄弟がいるらしいです』
『明日、身体測定だね』
……やはりダイアリーの印象は拭えない。おそらく、パパとママが学生だった頃、その当時の生徒が日々の出来事を記録しているようにみえた。
これは気になる!!
私はその書を、こそこそと自室に持ち込み、いそいそと読み始めた。