かちゃっと、ドアをアナログの鍵で開けた音に、だいぶ幼い女の子の声が重なる。
「お邪魔します、優樹さん」
 とことこ、軽い足音に続けて、波打つ金の髪をなびかせた多分十歳よりちいさい、ひらひらした服の女の子が現れた。慣れている様子。
「有馬兄さまも、お久しぶりです」
「久しぶり、リィ」
「今日も可愛い服ね。いらっしゃい」
 ええっ、アルマさんの妹?異国の子じゃないの?

「優樹さんの栄養剤を持ってきましたので、兄さま、設置をお願いします」
「ん」杖を脇に挟んで立ち上がって、ユウキさんのベッドの上の方に設置、管の先をユウキさんに渡す。ユウキさんは腕にささった管に繋げた。
「あ、きょうはお客さまがいらっしゃるんですね。はじめまして。わたし、川端リィエナといいます。よろしくお願いします」
「あ、うん、よろしく」
 やたらお行儀良く挨拶した彼女はアルマさんの膝の上へ登って座った。定位置なのだろうか。

「リィ、母さんとソレイユは元気?」
「母さまは元気ですよ。ソレイユ兄さまは少し体調が悪いみたい。有馬兄さまも家へお帰りになればよろしいのに。きっと二人とも喜びます」
「うん、まあ、そのうち行くよ」
「兄さまの『そのうち行く』は聞き飽きました。だって毎回そうおっしゃるのだもの」
「ねえ、リィエナちゃん、それより、ソレイユくんがあまり元気じゃないのね?」
「あ、はい。なんだか熱があるのかしら、ふらついているんです。たまになにもないところで転んでいたりもします。そろそろかも、と思って」
「そう――」
 すう、とユウキさんが目を細める。アルマさんも心配そうな顔。そんなのを、ぼうっと眺めていた。ここが救いの場所……?ユウキさんは起き上がりすらしないけれど、ほんとにすごい人なのかな。もしかして他にも部屋があるのはアルマさんの部屋?ユウキさんとアルマさんって……こいびと、なの?膝に置かれたかばんの上のあたしのちっちゃい手をじっと、じっと見ながら、ああ、危ないなと思った。

 案の定、力が発揮された。手袋に阻まれて効果は出なかったけれど。
 その瞬間、三人の鋭い目がこちらを向く。ひ、と小さな悲鳴がでた。
「やっぱり……」
「リィ、分かってたのか」
「確実ではなかったですけれど、可能性としては。だからきょう、お邪魔したのです」
「ぼーっとしているとつい、って感じかしら、ミウちゃん?」
「え、ええっと……すいません、なんのことですか?」
「もちろん、超能力の暴走についてよ」
 やっぱり。でもよそ様の御宅で火を出さなくてよかった――。
「よく……わからないです、すいません」
 それから勇気をだして聞いてみた。
「こちらって、その、超能力をなんとかしてくれるんですか?」
「ええ、そうよ」
 ゆったりと、少し大変そうに体を起こし、さら、と長い前髪で右目を隠したユウキさんが笑顔で言う。
「相談所へようこそ。ご要件は伺うまでもないね」
「いつも思うけど、それ身も蓋もないぞ。せめて承りましたとかに……」
「兄さまのご進言が優樹さんに届いたことはないですよね」





 企業と政府が隠している、超能力発現に用いられている『よくわからない電流』が生みだす副作用とやら。――短命。だんだんと体が機能不全を起こして、死ぬ。能力の暴走はその始まりだと、ユウキさんはすっぱりと告げてくれた。



「そうですか……」意外と落ち込まないな、と思った。
 再び横になったユウキさんが、個人差が大きいけれどと付け加える。
「俺は今二十歳なんだ。超能力の歴史で言ったら、一期生なわけ。同期で能力があったやつは半分くらいもう死んでる。俺がまだ生きてるのは、能力が軽かったおかげだよ」
「そんなこと、あたしはともかく、リィエナちゃんに聞かせていいんですか?まだ小さい子なのに……」
「はい。わたしはうまれたときから知っている、と言っても過言ではありませんから、平気です。お気遣いありがとうございます」
「まあ、俺としては善し悪し決めがたいとこだけど」
「なぜですか、兄さま?」
「いや、なんでもない。ユウキ、続き」何か一本調子な感じでアルマさんが言う。
「はーい。でね、まあ、能力を使わなければそれだけ長生きできるみたいなのよね。その企業のコンピュータ談」
「ええと、クラッキングとかで、調べたんですか?」
「んーん。でも近いかしら。私、コンピュータと話ができるの。だから、教えて――って『話』をしただけ」
「そう、ですか……」
「で、私たちは、困ってる子の寿命を延ばすため、能力を閉ざすということをやっているの。もちろん断ることもできる。ただ、ミウちゃんの能力は、ほら、ちょこっとだけ危険だから……ね」
「……考えさせてもらっても?」
「部屋はそちら。もう、日が暮れるわ、泊っていって」
「……はい」自宅は遠い――。
「リィエナちゃんは、帰りなさいな。お母さんが待ってるわよ」
「はい。お邪魔いたしました」
 来た時と同じ、とことこ軽い足音を立てて廊下の手前でくるっと振り返ってお辞儀をした。
「またおいで――」ユウキさん。
「あんま、来るなよ」アルマさん。なんでだろう。べつに嫌そうじゃないけど。
 両極端な二人に、リィエナちゃんは「また明日、来ると思います。でも――。あっ、いいえ。失礼しました」かちゃ。とアナログの鍵をかけて帰った模様。





 ぱた、と横になったユウキさんが、たぶん一番偉いんだろう。アルマさんに指示。あたしはそのアルマさんにくっついて廊下に出て、右の扉に入ると御手洗とお風呂があり、その向こうにキッチン。左の扉の手前がアルマさんが使っている部屋だと教わり、左奥の客間へ足を踏み入れた。
 柔らかい色合いのその部屋は木で出来た家具で構成されていた。質素なベッド。こたつ机が置かれた床はカーペットが敷かれている。カラーボックスに引き出しの機能を付属させたものがふたつ。壁にハンガーが二つばかりかかっている。部屋の全体の色は優しい木の色と薄いグリーンでまとまっていた。
「カラーボックスの緑の方に女性用の服とか身の回りのものが入ってるから」
「あ、はい」
 もう一つは薄茶である。
「俺は廊下のキッチンで夕食作ってるから、何かわかんないことあったら聞いて。多分ユウキ、今日はもう休んでると思うから」
「ありがとうございます」
「気にしないで。夕食、二人でこの部屋でいいかな。分けるの面倒で」
「ユウキさんは、召し上がらないんですか?」
「うん。ユウキは固形物は食えないから、栄養分は血管に直で入れてるんだ。さっきのやつだよ」
「そうなんですか。はい。この部屋で大丈夫です」
「出来たら持ってくるよ。それまでに部屋着に着替えるか荷物をまとめるかしていて」

 じゃあ、と言ってアルマさんは部屋を去った。
 は――、っと息をつく。
(緊張した)
 学校へ行くふりでこちらへ来ているので、制服に学校指定の鞄という格好は確かに寛ぐには堅苦しいかもしれない。すみっこに鞄を置いて、カラーボックスの引き出しを開ける。部屋着として、Tシャツと、柔らかい生地のパンツ、短めのスカートが入っていた。スカートを選んで着替える。制服はハンガーに掛けて。
(手伝おうかな……キッチン狭かったけど……でもアルマさん、足が悪いみたいだし)

 ドアを開ける。目の前がキッチンだ。が――。
(あれ、居ない。――っ!)
 おたまが、ひとりでに持ち上がって、鍋をかき混ぜている――!

(うそっ、なんで!?)
「あ、アルマさんっ!」
「……?なにかあった?」
 アルマさんは何事もなかったように、いや、『ように』ではなく彼にとっては本当に何事も無く、狭いキッチンで私の目の前に立って、おたまを手にもって鍋をかき混ぜていた。
「――ああ!」
 こつん、と杖の音を響かせて半身に振り返ってさらりとアルマさんは言った。
「俺が消えてたのか。だろ?」
「ええと……はい」
「よくあるんだ。ぼーっとしてるとね。ついつい。ミウちゃんと同じ」
 からからと笑って軽い感じでごめんねと言う。
「俺の能力なんだ。消失系?っての。もう大分進行してるからさ、完全に消えんの」
「そ、そうなんですか」
「ごめんね、びっくりしたでしょう」
「はい……正直」

 はいこれ、と笑顔でシチューの入った器を渡された。配膳をその流れで手伝って、こたつ机につく。
 いただきますで食べる。アルマさんは綺麗に手を合わせた。
「最初はね、気配だけ消えたんだよ。声かけたら相手にすごい驚かれるんだ。こっちもおんなじくらいびっくりするけどね」
 口にご飯を含んで無言の返事をする。
「うち、父親がいないんだ、最初から。精子提供で体外受精してそんで生まれてきたんだ。兄妹三人ともね」
「大変、じゃなかったですか?」
「母親はさ、超能力が欲しかったみたいなんだ。だけど自分は無理。適用範囲は乳児だからね。だから代わりなんだ、俺たちは。母親の代わり」
「え……」
「で、俺の能力って、地味だろ。どうも気に入らなかったみたいでさ。ほっぽっとかれたんだよね。次!って感じでさ」
「そんな」
「ま、ソレイユは及第点ってとこなんだろうな。わりと丁寧に育てられてたんだよ。それ見て、俺まだ子供だったんだなあ、嫉妬して、家出したの。それで、今に至るわけ」
「リィエナちゃんは……?」
「リィと母親が話してるのは見たことないんだ。リィが生まれるより前に家をでたから。でも多分リィは『合格した』んだろうな」
「……憎らしい気持ちとかは、ないですか?」
「昔は羨ましかったけど、今はなんとも思わないよ。可愛い弟妹だ」
「いえ、お母様のことが」
「あの人は可哀想だと思っているな」
「そうですか……」
「ミウはさ、親が憎いのか?」

「……」あの人たちへの思いはきっと現存する言語では言い表せない。だって「あの人たち、わたしのために……能力、発現させたんです」
「そっか」
「だから。だから……」
「――なんかさ、子供のことを思いやってる親もいるんだなって、ちょっとびっくりした。いいな、なんか、いい」
「そう、かもしれませんね」
「片付けよっか」

 そう言ってアルマさんは食器をまとめ始めた。わたしがキッチンへと運んだ。それから洗おうとしたらアルマさんにいいよ、俺がやるからと言われた。
「疲れてるだろ。お風呂先入りなよ。んで早く寝ちゃったほうがいいよ」
「はい」
 バスタブはなく、シャワー設備だけの風呂場だった。そういうアパートが最近増えていると聞く。
 ユウキさんはお風呂どうしてるんだろうと、どうでもいいことをぼうっと考えながら汗を流して、部屋着同様に用意されていた寝巻きに着替える。廊下に出できたときにはキッチンからアルマさんはいなくなっていた。今度は本当に。
 アルマさんの部屋のドアを軽くノックする。はいー、と声がしたのでお風呂をいただき終わったことを告げ、おやすみなさいを言う。おやすみと返事があったので、自分に与えられた部屋へ戻った。

 はあ、と息をついてベッドに倒れ込む。夏用の毛布にくるまると、しばらく干せていない匂いがした。最近ずっと雨だからだろう。いまも、飽きることなく、さ――っというノイズみたいな音がしている。
 その音を聞きながら眠った。なんだか今日はやけにそれが気分のよくなる音に感じた。



be continued