ぴんぽーん。――かたたっ。『どちらさま?』「あっ、えっと、えっと、ミヤザワユウキさんのお宅でしょうか。あの」『はい、今開けるね』ぴっ。がちゃ。『ドア、開けたから、どうぞ』
ドア・フォンを前にかれこれ十分は躊躇ったあと、えいっ、と触ったら、起動を始めたような機械音が――かたかたと――して、そのすぐあとにまだ若い男の人の声。機械でロックを解除したようだった。よくあるシステムだが、あたしの家は実におんぼろで、機械を導入していないので、少しだけ驚く。
ぎぃ、とドアをきしませながら開く。どうやら防犯システムは後付けのようだ。家自体は圧倒的にぼろ……ううん、えっと……歴史があるという感じ。
角部屋のごく普通の2L。カーテンがしまっているのか昼間の割に暗い部屋。入ってすぐ見えるリビング・ルームにささやかなサイズの机があり、ノートパソコンが置かれていた。そのそばに、声の主と思われる青年が椅子に掛けている。目があった。にっこりしながら、入っておいでよと言う。あ、怪しい。怪しい……!!
「あ、あの、失礼しますっ!」
くるっと反転して出ていこう!と思ったあたしの背後で、ちょっと待ってという、すごく焦った男の人の声と、女の人の小さな、けれど容赦の無い笑い声。それから、どたっと大きな音。
慌てて振り返ると男の人が転倒していた。よく見たら、彼が掛けていた椅子には二本で組みの杖が立てかけてあった。
「だっ、いじょうぶ……ですか?」
ぱたぱた戻って助け起こす。ありがとうと言われた。
女の人の笑い声はベッドからで、ベッドからの笑い声は止まない。ころころと転がりながら、くすくすと、けらけらと、笑っている。
「あははっ、アルマってば、態度が完全に変質者だったわよ」
「変質者って……そんな……」
「すみませんっ!えっと、あるま、さん?が怪しいとか、そんなことを思ったわけじゃなくてっ、ですね!」
思いましたごめんなさい。
「ライトをつけてからドアを開ければいいのよ、アルマ」
女の人が言って、ベッドに置かれたモバイルにぽそぽそと何か話しかけるようにして、そうすると不意に明かりが点いた。
青年――アルマさん?――が手を目の前にかざして、まぶしそうに目を細くする。
「うう、ちょっと、ライト全開にしないで。眩しい」
「あら。暗い中で変質者扱いされたのは誰かしら。この子も明るいほうがいいでしょう。ね?」
笑顔で聞かれた。笑顔に気圧されて、こくりと肯定する。
「あっ!あれをつかったら?この間の子が置いていったサングラス。眩しくなくなるわよ、きっと」笑いながら。
「そのほうがよほど変質者だろ。もう。ちょっとくらいライトを弱めてくれてもいいじゃないかっ!」
「はーい。……このくらいでもいいかしら?」
聞かれたので、もう一度首を縦に振る。明かりが少し絞られた。青年が息をつく。それからパイプ椅子と綺麗な模様が透けている小さなガラステーブルを部屋の真ん中に用意し、座るよう勧められた。制服のスカートを揃えて腰掛ける。
六畳半のあたしの部屋よりは大きそうな、けどけして広くないリビング・ルーム。入口から見える位置に青年の使っているデスクセット。見えない位置に少女――と言っても多分あたしよりも年上、高校生くらいに見える――の寝転ぶベッドがある。大きいそのベッドの上はコンピュータ群がひしめいている。あとはビデオ・ゲームたち、モバイル版も。
「私がユウキです。手紙の差出人。こっちは」と青年を指し「アルマというの。よろしくね」とにっこり笑った。
十四回目の誕生日を迎えた頃、つまり十四歳になってすぐくらいの頃、真冬に、だった。
不意に触れたノートが燃えた。モノをうっかり燃やしてしまうことなど、小さい頃を除けばないことだった。冬に空気が乾燥する地域に住んでいるので、下手をしたら大家事だった。慌てて水をばしゃっとかけた。それ以降、『うっかり燃やし』が多発した。素手で触れなければ火が出ることはないので、モノ作りの得意な知り合いに燃えない手袋を作ってもらってなんとかしのいでいた。
あたしは発火能力のある、後天性の、というと変だが――超能力保持者だった。
珍しくはない。二十歳より下の年齢ならば超能力保持者はクラスに何人かはいる。下になればなるほど多い。
今から二十年前、開発されたよくわからない機械でよくわからない電流を脳に流すと何らかの超能力が発現する。ただし乳児に限る。安全性は確保できない。どんな能力が発現するかは個人差がある。とか。
あたしも、両親の≪能力のある方が良い≫という謎の思い込みによって、よくわからない電流を流された挙句、燃えろと思って触ったものが燃えるという、使えるのか使えないのか、きわどいラインの能力が発現した、のだった。
まあ、燃やそうと思うものなんかそうそうない。今までに燃やしたものはみんな『うっかり燃やし』だった。
最近、燃やそうなんて思っていないのに、火が点く。能力が暴走を始めているように思った。恐ろしい、恐ろしい。そう思って沈み込んでいたとき、手紙が届いたのだ。柔らかな青の封筒。同じ色の便箋にはこう書かれていた。
【 あなたを助けます。ここへ来てください。
関東地区 648番地 74 セントラルマンション 401号室
ミヤザワ ユウキ 】 と。
「ユウキだから男の人だと思ったのね。いえ、謝ることないわ。漢字では優しいに大樹の樹で優樹と書くの。素敵な名前だと思っているわ。好きよ。正直両親はどうしようもない人たちだけど、ネーミングセンスはあったのね」
「アルマさんも変わった名前ですよね」
「あっ、アルマに名前の話は振っちゃダメよ」
「え?」キッチンでお茶を入れているアルマさんを窺う。
「漢字では有るに馬と書くのだけれど、読みが変わってるでしょう?それが嫌らしいの」
「そうなんですか……」
「ユウキ、俺の名前の話するなって言っただろ、毎回毎回客が来るたびに……嫌がらせか!」
「わあっ」
「あら、聞こえちゃった?まあ嫌がらせかと聞かれれば、そうよ!」
「ええ!?」
アルマさんはため息をついて、あたしの前のテーブルにお茶のカップを置いた。いい香り。いちごの香りだ。
「そうそう。なんで名前の話をしていたかって言うとね、私たちはあなたの名前を知っているけれど、自己紹介としてはしてもらっていないじゃない?この質問のための今までの会話よ。――あなたの名前は?」
ユウキさんが、ベッドに転がったまま、優しい声で訊ねる。
嘘だ。とアルマさんが言っている。絶対俺への、ただの、嫌がらせだろう、と。
「あたしの、名前――。」
「あたしはミウ、美しいに雨でミウです。梶井、美雨といいます」
「美しい……雨……素敵ね」
ユウキさんがぽつ、と言った。
外は全然美しくなんかない、じっとりした夏の雨が降っていた。