「女の子がどうしても欲しかったんだ」オトーサンがイモウトにそう言う。「オニーサンはいつかこの家を継ぐのよ、頑張ってね」オカーサンがオニーサンにそう言う。
イツキはというと、特に何も言われたことはない。けれど、それはどうということもないなとイツキは思う。
オニーサンのアキツグは将来家を継ぐことが決まっていて、毎日のようにオトーサンオカーサンが期待の言葉をかけている。そんな重責を背負ってまっすぐ立っているアキツグさんのことはとても尊敬している。小さなイモウトのコトハは愛くるしく、家族みんなに可愛がられている。オトーサンは見習うべきりっぱな人で、オカーサンは優しく強く家を守っている。みんなのことがイツキは大好きなのだった。
オトーサンが働きに出ている昼間、家にいるオカーサンは忙しい。家事はもちろん、アキツグさんに勉学を教え、コトハに絵本を読み聞かせていた。その邪魔になってはいけないのでイツキはいつも外へ一人で遊びに出るのだった。
サクラに出会ったのは、そんなある日。桜が舞い散るあたたかな世界でのことだった。
[幼き彼らの転換点]
コトハは桜色が好きで、イツキが桜の花びらを持ち帰ると喜ぶので、イツキは桜の咲く季節は毎日桜の木へ遊びにゆくのだ。
いつものように木へ向かうと、根元に女の子がいて、座って書を開いていた。イツキはためらうことなく声をかけた。
「きみは見かけたことがないけど、最近越してきたの?」
「あなた、誰?このへんの人?」
隣に座ったイツキを見たサクラの瞳は、今では考えられないくらいになんの光も灯していなかったし、表情も凍えそうに冷たかった。
だけど、声だけは今と同じあたたかな声だった。
「イツキはあっちのほうに住んでいるよ」
「サクラはここの家」
イツキ達の故郷では自分のことは名前で呼ぶのが普通なので、けしてその時子供だったため一人称が自分の名前ではないことを記しておきたい。
「この木、サクラの家の木なの?」
「そうだよ。サクラはこの桜の花が咲いている時期に産まれたからサクラっていう名前なのよ。あなたの名前の由来は?」
「えっ?イツキはそんなこと知らないなあ。でも僕のオニーサンはアキツグさんっていうんだ。コトハっていうイモウトもいる」
「あなた、オニーサンがいるのね。そう」
「サクラは?」
「サクラは一人目よ。だけどこの間オトウトが産まれたの。だからサクラはもう必要ではないのよ」
「どうして?」
「だって、家を継ぐのはオトウトだもの。今まではサクラが家を継がないといけないかもしれないから必要だったけれど、もうサクラは要らないのよ」
「そうかなあ。家を継がないけど、コトハは大事だもの。きっとサクラもそうだよ」
「そんなことない。オトウトが産まれてからオトーサンもオカーサンもずっとそっちに構いっぱなし。サクラが話しかけても生返事ばかりだもの。あなたも両親になんの興味も持たれてないでしょう?だからこんなところにいるんでしょう?」
「そうだなあ、あんまりそういうことを考えたことなかった。うーん、やっぱりお世継ぎの人って大変なんだね」
「そうよ。大変なのよ、大変だったのよ」
「でも、イツキはこれからサクラと毎日遊ぶことができるかと思うとすっごく嬉しいなあ」
「サクラはあなたと遊んだりなんかしない。サクラは一人で、誰の力も借りないで、うんと偉い人になるんだから。そうしてあの人たちを見返すんだから。あなたの相手をしている暇はないわっ」
「じゃあ、イツキも一緒に勉強するよ。教えてくれる?」
「……サクラをずっと好きでいるならいいよ」
「イツキはサクラを嫌いにはならないよ。ずぅっとサクラが好きだよ。だから、サクラがイツキを好きになってくれたら嬉しい」
それは、子供らしく、実に軽々しい言葉だった。
けれどサクラは桜が散っても、基本学校に入っても、イツキが自分のことを俺と言いはじめても、そのずぅっと後も一緒にいてくれた。
サクラはいつしか笑うようになり、俺に会うと、きらきらした瞳で、手を振るようになった。
そうしてサクラは今のサクラになり、オレの隣でにこにこ笑っている。
……END.